翌日の放課後、一触即発状態だった男子バスケ部と女子バレー部に、ついに事件が起きた。

 その騒ぎが私の耳に入ったのは、監査委員会活動室へと向かっていた時だった。


――けんか?


 確かに聞こえてきた声に、踵を返して体育館へと急ぐ。体育館の入り口には人だかりができていて、みんなが遠巻きに中の様子を伺っていた。


「ちょっと、すみません」


 人垣を押し退けて中の様子を伺った瞬間、目の前に広がった光景に唖然として息を飲み込んだ。

 体育館の中央で、谷川先輩と笹山先輩が睨み合っていた。その二人の背後には、部員たちが息を殺して固まっている。まるで今から殴り合いでもするかのような雰囲気が、緊張の高まる体育館に広がっていた。


「ちょっと、どうしたんですか?」


 緊張で高鳴る鼓動と、ありえないくらいに口の渇きを感じながらも、よろよろと二人の間に入っていった。


「こいつがよ、いきなり胸ぐら掴んできたんだ」

「え?」


 横目で私を睨みながら、谷川先輩が吐き捨てるように呟いた。よく見ると、谷川先輩も笹山先輩も紅潮していて、互いに頭に血が上っているのがわかった。


「そ、それは、あんたたちが、コートを明け渡さないから――」

「うるせえ!」


 笹山先輩に並んで抗議を始めた山崎先輩を、谷川先輩が一喝して跳ね返す。やりとりの状況からして、コートの使用ルールを巡ってトラブルになったみたいだ。


「ちょっと、みなさん落ち着いてください」


 戦闘モードの先輩たちに気後れしつつも、意を決して二人の間に突入した。


「笹山先輩、どうしたんですか?」


 谷川先輩をきつく睨んだままの笹山先輩に声をかける。笹山先輩は怒りを露にしているけど、その表情にはどこかもの悲しい雰囲気があった。


「男子バスケ部がね、またコートを譲らなかったから、それで、谷川と話し合いをしようとしたの」

「何が話し合いだ。胸ぐら掴んだくせによ」

「それはあんたが――」

「ちょっと、ストップです!」


 再びぶつかり始めた二人を制止し、らちが明きそうにないので笹山先輩だけを連れてその場から離れた。


「話し合いって、どんな話し合いだったんですか?」

「ちゃんと使用ルールを守るようにお願いしたの。それでね、ちゃんと使用ルールを守るなら告発の件は取り下げるって話をしたの」


 その場から離れたことで、落ち着きを僅かに取り戻した笹山先輩が状況を説明してくれた。

 いつものようにコートの使用ルールを無視した男子バスケ部に対し、笹山先輩は抗議ではなく話し合いを谷川先輩に持ちかけた。その際に、告発の件は行き過ぎだったとして謝罪し、和解しようとお願いしたという。


「でも、あいつは全部受け入れてくれなかった。だから、つい頭にきて」


 笹山先輩が肩を落としながら顔を伏せた。頭にきて胸ぐらを掴んだのは事実ということだった。


「私が馬鹿だった」


 伏せていた顔を上げた笹山先輩の表情には、もはや怒りの色はなく、代わりに涙こそ見せないものの、悲しみの色で溢れていた。


「谷川なら、ちゃんと話し合えばわかってくれるって思ったの。ずっと、あいつのことは同じキャプテンとして尊敬してたからね。でも、それは間違いだった。あいつを信用した私が馬鹿だった」


 微かに震える声で呟くと、笹山先輩が大きくため息をついた。どうやら喧嘩が大きくなった原因には、笹山先輩が谷川先輩に裏切られたという失意の怒りもあったみたいだ。

 笹山先輩にわかりましたと告げ、今度は谷川先輩のもとへ足を運ぶ。谷川先輩は迷惑そうな顔をしていたけど、私は圧倒されないようになんとか心の中で踏み留まった。


「だいたいよ、コートを譲れっていうけど、そんな時間ぴったりに替われるかよ」


 谷川先輩の言葉に、男子バスケ部員が追い風のように「そうだそうだ」と囃し立ててきた。

 谷川先輩の言い分は、コートの使用ルールがおかしいということだった。練習内容によっては準備にも時間がかかるから、予定通りにはいかないと主張していた。


「替わるつもりだったんですか?」

「仕方ないだろ。お前らがうろついてるからな」

「う、嘘ですよ」


 谷川先輩の言葉に、山崎先輩が体を震わせながら割って入ってきた。


「そ、そう言って、いっつも、替わってくれなかったじゃないですか」

「あ? だから今日は替わるつもりだったって言ってるだろ。なのによ、難癖つけてきやがって。なあ監査委員会のチビ、これっておかしいよな?」

「チビって、私には倉本花菜って名前があります」

「どうでもいいよ。それより――」


 谷川先輩が何かを言いかけたところで、男子バスケ部員の一人が「活動停止だろ」と叫んだ。

 一瞬、静まり返った後、怒涛の勢いで男子バスケ部員たちが一斉に騒ぎ始めた。

 内容は、笹山先輩の胸ぐらを掴んだ行為は暴行だから、他の部活動を妨害したとして立派な活動停止処分の理由になるというものだった。


――ちょっ、そんなこと言われても


 チビだと馬鹿にされた怒りはすぐに消え失せ、突きつけられた現実と迫ってくる男子バスケ部員に、私は完全に圧倒されてしまった。


――どうしよう……


 話を聞く限りでは、男子バスケ部が悪いようにも思える。けど、手を出したのは笹山先輩だから、はっきりいって女子バレー部の方が分が悪かった。

 口ごもっていると、さらに男子バスケ部が一丸となって騒ぎ立てた。痛いところを突かれているせいか、笹山先輩も女子バレー部員も上手く言い返せずに黙っている。こうなってしまったら、もう男子バスケ部を黙らせるのは難しかった。

 言い返せない状況への悔しさに、私は力強く両手を握りしめた。悪いのはコートの使用ルールを守らない男子バスケ部だ。さらに、笹山先輩は谷川先輩を信じて和解しようとした。それを踏みにじったのは、他でもない、谷川先輩なのだ。

 なのに、笹山先輩の怒りの行動が邪魔をして上手く反論できなかった。もちろん、笹山先輩は悪くない。ただ、それは内情を知ってるから言えることで、周りから見たら手を出した奴が悪いとしか思われないだろう。

 対応に屈していると、さらに男子バスケ部が女子バレー部を活動停止にしろと囃し立ててきた。谷川先輩は黙ったままだけど、部員のヒートアップは止まりそうになかった。

 完全に八方ふさがりだった。

 どうしていいかわからず、ただ震えるしかできない自分が悔しくて、気がつくと視界が滲んでいた。

 そんな絶体絶命に陥った、まさにその時だった。


「どうしたんだ?」


 緊張で張り詰めた体育館に、明らかに場違いな間の抜けた声が響き渡った。


――田辺先輩!


 まさに地獄に仏とばかりに、姿を現したのは寝起きの田辺先輩だった。寝起きのせいか多少不機嫌そうにしているけど、その鋭い眼差しは完全に状況を把握しているように見えた。